戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

Gペンを買った

前にGペンを買った。

別に漫画を描くわけでもなく、単純にGペンを使ってみたかった、ただそれだけである。

なんの前知識も調べることなく使い始めたので、最初はまるで小学生に戻ったかのように書くのが不自由だったし、だいぶ慣れた今も正しい使い方しているのかわからない。

しかし、そんなこと置いておいて、Gペンで書くというのは楽しいものである。

普段はボールペンを主に使っているが、Gペンと使ってみるとボールペンというのがいかに便利ですごいのかよくわかる。

力加減関係なく一定の線を引くことができるし、手入れもいらない。

本当に気持ちよく、なんの意識もしないでスラスラと描かせてくれる。

ある程度大人なった私は、てっきり字が書けるようになっていると思っていたが、どうやら「道具のおかげ」というのもあるらしい。

Gペンで書くときは、まず準備しなきゃいけないし、インクを使うもんだから雑に扱えば溢したり、インクを飛ばしたりしてしまう。
だから、やっぱり気が引き締まる。

それでいて、実際にペンを走らすときは、力加減は繊細だし、インク切れも意識しないといけない。

何回も使っていると、ペン先が広がってきて明らかに書きづらくなっていって、どこかのタイミングで替えないといけない。

いまだにその替えるタイミングは悩んでいる。

別に漫画を描いているわけではないので、そんな一生懸命にやっているわけではないけど、それでもボールペンとは比べ物にならないくらい、無意識にいろんな要素を感じながら書いているように思う。
Gペンの面白さって、先が鋭い金属で、紙を切り込むような書き心地と、その音が一番なんだけど、この面倒臭さもお気に入りである。

 

こういうのを「不便益」と言えるのだろうけど、私としてはこの繊細なひとときを不便益の言葉でまとめてしまうには、いささかもったいないというか、もはや台無しにしてしまっているようにすら思う。

私がわざわざGペンで書くということは、そういった世の中の一言でまとめて綺麗にしたがることへの反抗でもあるのかもしれない。
実際にGペンで書いていると、なにかボールペンで書いているときには過ぎ去ってしまうような、そういった大切な何かを、ペン先をインクにつける度に拾い返しているような気がする。