戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

カードのサイズ感

以前、カードっていいフォルムだよなぁって話をしたのですが、それはどのサイズにまで言えることなのだろうかと、ふと思う。

 

A4コピー用紙には、カードのような良さはあまり感じない。

それはまた別の良さを醸し出しているように思う。

では、ハガキサイズはどうだろうか。
A4コピー用紙よりかは断然カードらしいと思うが、ハガキはハガキだなぁと感じる。

 

やはり、カードというのは、あの掌に収まるくらいのサイズ感であることが一つ重要なのではないかと思う。


人に対して物事が大きくなると、人はそれを環境として認知し、それに対して受動的に接しやすくなる。

かわって、人に対して小さくなると、人はそれを道具として認知し、それに対して能動的に接しやすくなる。

「遊び」というのは、どちらかというと後者の方が当てはまるのではないかと思う。

"遊び"とは、その対象と戯れることで、対象と人が相互に影響を与え、そこから物事を組み立て、関係性を築くものだと思う。

よって、戯れやすいデザイン・構造になっているものの方が"遊び"になりやすい。

 

カードという遊びの対象と、プレイヤーである人を繋ぐのは、「手」である。

人間の手があれくらいのサイズであるから、カードのサイズはあれくらいになるのだろう。

結局は遊びというのは人が遊ぶのであるから、どう遊びをデザインするかは人の構造を見ていけば自ずと答えが出てくるのだろう。

というか、それはどんな事もでも言えるか。

 

このご時世、技術が発展してものすごいことができるようになっているが、結局はその技術を人の身体性に基づいて下ろしてこないと、ただのフワフワなんか浮いている雲と変わらない。

また、それに対して、完璧に人にとって最適なものを作る必要もない。

それに対して「遊べる」ようにすること。

そうすることで、人は戯れの中で対象を理解し、自分にとって丁度いい距離感を測ってくれる。

遊びを作るとき、どんな人が来ても楽しめるようにいっぱい用意しちゃダメなんだ。

人と遊びをつなぐ「1点」、これを完璧に仕立て上げる。

むしろこの接点を完璧にエスコートしなければならないが、そのあとはもうプレイヤーに任せればいい。

そんな風に考えた方がいい気がする。