選択肢が多いって良いことなのか
選択肢が多いことって、何でもかんでも良いこととは限らない。
例えばコンピューターゲームなんかは、自由度が高いというのはいいことのように言われるけど、「自由度が高い」という感覚と「やれることが多い」というのは必ずしもイコールではないと思う。
むしろ、時々選択肢の多さが、遊びの邪魔をしてしまい、「自由度」という感覚を抑えてしまう時すらあると思う。
というか、選択を増やせば増やすほど、選択という感覚は薄くなるように思う。
目の前に2つしかなくて、どっちにする?と聞かれる時、それを選択し、もう一方を選択しなかったというのがはっきりと現れる。
しかし、それが100とかになると、もう正直「わからん」のである。
その中から一つ選び出すという、ある意味究極の選択をしていることにもなるが、それを選択するには2つ選択肢の時よりもエネルギーが必要だし、そこの過程が曖昧となる。
別にどっちがいいというわけではない。
ただ、「選択肢が少ない」と「選択肢が多い」というのはそれぞれ特徴があり、メリット、デメリットがそれぞれあるだけで、むしろ目的に合わせて、選択の量というのは調整するのが望ましいだろう。
映画とかは、それを観ている中で、観ている人がそのストーリーに介入して選択することはできない。
(「その映画を観る」という選択はしているんだろうが)
だが、それに対して不自由だと思うことはない。
映画は観ている側が干渉できず、完全に「観客」という立ち位置に固定してくれること、そこに安心感があり、その圧倒的な映像に思う存分に打ちのめされることができる遊び、という言い方ができるかもしれない。
もはや、映画に対して介入して選択をできるようになっては、それは映画ではない。
しかし、別の新しい遊びにはなるかもしれない。
その時、どう観客を遊びに介入させ、どのように選択させてプレイヤーに仕立て上げるのか、そういう風に考えていくのは面白い。