プレゼンを面白くしようとしていた頃の話
私はデザイン系の大学に行っていたのですが、デザイン系となると課題でモノを作るわけで、それを発表するためにプレゼンをすることになります。
プレゼンというのは妙に嫌なものです。
ただでさえモノを作って形にするのも大変なのに、それを知らない誰かにも伝わるように言語化、整理して、それを一つの話としてまとめないといけません。
それって、とても大切で、勉強になることなんだろうけど、大抵、私は物作りの段階で息切れしているので、いつも勘弁しれくれって思ってました。
何を隠そう、私は落ちこぼれでした。
そんな、とっ散らかった子供みたいな私でしたが、プレゼンというより、プレゼンの空気感そのものがあまり好きではありませんでした。
私より全然いいモノを作っている人たちが、ものすごくしんどそうに話しているのです。
それに対して先生がバシ、バシ、と冷たく講評する。
すごいどんよりした空気の中、2時間くらいプレゼンと講評が続くわけです。
死ぬほどつまらないわけです。
確かに、私の作品も決していいモノではないし、自信もクソもありません。
しかし、だからといって、課題に対して自分なりに悩み、なんとかして辿り着いたモノなんだから、そんな申し訳なさそうに話す必要はないと思ったのです。
何を恥ずかしがる必要があるのか。
そう思い、一時期ものすごいプレゼンに力を入れていた時がありました。
プレゼンというか、どうしたら面白く話せるかという、もはやコントを考えているような状態でした。
それで滑ったりもしましたが、少しプレゼンの空気が柔らかくなった時、嬉しさを感じました。
せっかくやるなら、面白い方がいい。
結局のところ、あるタイミングで、このままプレゼンばっかり力入れても仕方がない、ちゃんといい物作りをして、それでしっかりプレゼンしなければならないと考えを改め、プレゼンに力を入れるのをやめました。
そうするようになってから、クラスメイトから「もうやらないの?寂しいね」なんて言われたりもしましたが、もっと正々堂々と真面目に面白いものが作りたかったので、ある意味プレゼンで逃げるということをやめることにしたのです。
しっかりと自分、そして作品と向き合うことにしたのです。
そういう意味では、一つ成長したのだと思います。
しかし、今こうして真面目に頑張りたいと思うがあまり、肩の力が入り、しかめっ面になってしまい、少しどんよりとした空気感が自分の中で強くなっているように思う。
それは決して悪いことではないと思います。
そういう時期もあるものなんでしょう。
しかし、あの頃のシンプルに面白くプレゼンをやってやろうと息巻いていた自分が、今の私を見たらなんて言うんだろうなと、少し思ってしまいます。
プレゼンというのは、作ったもの以上のことを喋ろうとしてはいけないのです。
その過程で考えたこと、そこからやったこと。
その過程によってできた結果のもの。
それに対する他人の評価など気にせず、ありのままをスッと話せば、とりあえずはいいのです。
まあ、それが難しいんですけど。
そういう意味でも、あの時、作品どうこうではなく、ただ面白がらせようとプレゼンでふざけていたのは間違いだったのだと思います。
しかし、その時プレゼンに対して抱いていた嫌悪感、それに対して自分なりに刃向かおうとして、面白くしてやろうとしたことは、別に間違いでもなんでもないと思うのです。
むしろ、そのはっちゃけ具合は学びたいくらい。
あの頃の自分は馬鹿でしたけど、ある意味一番輝いていたのかもしれません。
そんな昔の自分、投げ捨てずに、片隅で手放さずに握っておきたいと思った次第です。