戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

人生ゲームにおける「ルーレット」


人生ゲームっていうボードゲームありますよね。

私は小さい頃、よく遊んでいました、1人で。

6人くらい人格を勝手に設定して、あとはルーレットを回して、シンプルにその人格の人生がどんな風になるのか、楽しんでいました。

「あ〜、赤は子供沢山作っておきながら破産か〜」みたいな。

ある意味シミュレーションゲームみたいな。

偶発的に発生するイベントから、頭の中で妄想して一つの物語にする、そんな感じの遊び方。
この遊び方で結構時間潰せるので、大変良きです。

似たような遊び方している人、結構いますよね?

知らんけど。

 

その話は置いておいて、人生ゲームにおける「ルーレット」って面白いですよね。

人生ゲームっていわゆる、人生をなぞらえて作った双六で、普通の双六で使用するのは「サイコロ」です。

人生ゲームの「ルーレット」と「サイコロ」では、まず目の数が違いますが、一番重要なのは「目の決まり方」です。

 

サイコロでは「投げる」ことで動かします。

サイコロは立方体なので、転がるといっても、すぐに静止します。

ポイっ、カンカララン、といった感じにでしょうか。

テンポよく、リズミカルに目がはっきりと決まります。

 

ルーレットは「回す」ことで動かします。

ルーレットは何より、ゆっくり目が決まります。

ガラララララララ、ララ、ラ、、ラと非常に勿体ぶって止まります。

これが人生ゲームにおいて、なんともいい演出になっています。

 

もし、人生ゲームをサイコロで遊んでも、全く問題なくゲームを進めることができるでしょう。

しかし、人生ゲームではあのルーレットの焦ったい演出の方が似合っているのではないかと思います

何せ人生を決める一手ですから。

重い、重い、一手なはずなんです。

ルーレットを回して、少しずつスピードを落としていく様子を、他のプレイヤーと共に固唾を飲んで見守ります。

出て欲しい数をギリギリで達しなかった時は、緊張が解かれて「あー」と声をあげてしまいます。

サイコロではできない演出です。

 

どちらも同じ確率の話です。

サイコロとルーレット、どちらが正しいという話ではありません。

しかし、同じ確率でも、その決まり方によって全く違う感じ方が生まれるのは面白いものです。

例えば、裏返したトランプを選ぶというやり方で、目を決めるとなっても全然違う感覚になるはずです。

確率的には同じ状況だったとしても、どのカードにするか「悩む」という時間が生まれますし、選んだ後に「ひっくり返す」という、割と全体的にプレイヤーが確立に能動的にアプローチができるような感覚を演出できる気がします。

 

他にもどういった決め方があるでしょうか。

こういった、一つ一つの動きを改めて丁寧に見つめてみるだけでも、色々な面白い発見がありそうです。