「ちびロボ!」というゲームについて、あれこれ
「ちびロボ!」というゲームをご存知でしょうか。
「ちびロボ!」はCMが印象的でした。
CMでは、小学校での音楽の授業でも歌う「グリーングリーン」が流れていました。
爽やかで、何かワクワクするような、それでいてちょっぴり寂しいような、懐かしいような。
そんな曲と、「ちびロボ!」の映像が合わさりあって、なんかいいんですよね。
ゲームのCMの中でも、上位に入るくらい好きです。
「ちびロボ!」というゲームを簡単に説明すると、「高性能ルンバ」です。
家族を幸せにすることを目的として購入され、その小さな体でゴミを拾ったり、汚れを取ったりします。
ちびロボは喋ったりできませんが、それでも懸命に小さな体を動かして、誰かのために尽くす姿は健気で可愛らしいです。
普通に現実でも欲しい。
「ちびロボ!」は名前の通り小さなロボットで、この小さくなった視点で世界を駆け回るだけで、まず面白いです。
私たち人間にとっての「部屋」が、ちびロボにとっては「広大なステージ」となり、少し高いところに登るのも一苦労。
コードを伝ったり、引き出しを開けて段差を作ったり、そういった小さい視点ならではのギミックを利用して、広大な部屋を駆け回ります。
ちびロボシリーズは色々あるのですが、やっぱり一番初代が好きですね。
初代はゲームキューブというゲーム機で、テレビで遊ぶことができました。
それ以降のシリーズだと、DSといった携帯型だったと思います。
「ちびロボ!」において、「小さなロボットから見た大きな部屋」というのが特に魅力だと感じたので、携帯ゲーム機のような小さな画面より、テレビのような大きい画面の方がゲーム内容の演出としては合っているように思います。
ちびロボのお尻には「プラグ」がついています。
ちびロボは電気で動いており、バッテリーが切れてしまうと倒れてしまいます。
そうならないように、自分のエネルギー残量を意識しながら仕事をする必要があります。
また、電池を充電するには、部屋のどこかにある「コンセント」の位置を把握しておかなければなりません。
自分の位置と、近くのコンセントまでの距離を計算して、いつ作業を中断するか、そういった判断が必要となります。
「仕事の効率」と「自分の限界」の駆け引きです。
これは私たち人間にも当てはまることで、それをわかりやすくゲーム化しているとも言えます。
残量ギリギリでコンセントにたどり着いた時は、まるでオアシスに着いたかのような安堵感があります。
「ちびロボ!」を遊ぶと、自分の家のコンセントの位置も気になってしまい、自分の部屋にちびロボがいたらどう動くか、なんて考えたり。
いやはや、面白い。
また、「ちびロボ!」で遊んでいると「仕事」というのが楽しく感じます。
そりゃまあゲームなんですから、楽しいんですけど。
「ちびロボ!」では、「ハッピー」という数値があります。
ゴミを拾ったり、モノをプレゼントしたり、そういったことをすることで、ちびロボはハッピーをもらいます。
「ハッピーを集める」というと、何だか現金に感じますが、そこの黒さもまた良さのように思います。
ちびロボは上記でも書いたように喋ることができません。
ですがプレイヤーは、掃除や仕事をすることで他のキャラクターにコミュニケーションを働きかけることができます。
口ではなく、行動でコミュニケーションを図るという、言語を行動に翻訳するような感じでしょうか。
小さな身体で地道に小さなゴミを取り、小さな汚れを拭き取り、大きな人からすればやろうと思えば数秒で終えれることを、ちびロボは淡々と黙々とこなしていきます。
そうやって、汚らしかった部屋が綺麗になった時、ものすごい達成感がありますし、それがそこに住む家族にとって幸せに繋がるとなると、とてもいい気分になります。
仕事の良さってまさにこれですよね。
「ちびロボ!」で遊ぶと、仕事とか、掃除とか、そういったものの印象が少し変わるような気もします。
何か掃除をしていると、「ちびロボ!」の映像が頭に浮かんできて、ご機嫌な音楽が流れてきます。
(「ちびロボ!」はBGMも最高なんです…)
そうすると不思議なことに、その辛い作業が少し楽しく感じるんですよね。
不思議です。
何か「ちびロボ!」という遊びによって、現実における新しい視点を享受してもらった。
特にこの作品ではそう思わされるような気がします。