戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

砂場、あれこれ


公園の遊具の中の一つである「砂場」。

よくよく考えてみると、こいつだけ他の遊具と違っておかしい気がする。

だって、ただ砂が置いてあるだけですよ?
ブランコとか、シーソーとか、鉄棒とか、そこらへんの遊具たちはちゃんと作られた感じありますけど、砂場はドーンとそのまま「砂」と大胆ですよね。
しかし、私はブランコと同じくらい、遊具の中で砂場が好きだ。
砂場とは一体何者なのだろうか。

 

そもそもなんで「砂」なんだろうか。
「砂」である必要があったのだろうか。

他のものに置き換えてみて考えてみる。

 

砂の代わりに「葉っぱ」があったらどうだろうか。

それはそれで面白そうだけど、葉っぱだと虫とか湧きそうだし、風が強い日に全部持っていかれそうだ。

 

砂の代わりに「石」はどうだろうか。

これもこれで面白そうだけど、ちょっと危なそうですよね。

それと、砂と比べると遊びの多様性は少ないというか、二つの場が並んで置いてあったら、やっぱり砂の方に手を突っ込みたくなるな。

 

砂の代わりに「水」はどうだろうか。

水はいいですね、面白そう。

だけど、やっぱりこれも時間が経つと水は汚れていくし、管理が必要になってくる。

 

…こうして考えていくと、「砂」ってめちゃくちゃすごいものなのかもしれないと思えてきた。

 

「砂」の凄味として、まず不変的であること。

朽ちたりと変化することもなく、何もしなくても常に誠実さを保ち続ける。
そう、砂の強みは誠実さ。

まあ、時々猫がウンコして臭くなっていますが。

また、それをわざわざ盗むほど高価でもないし、それでいて扱いやすい。

 

そして、それでいて、あの「つい手を突っ込みたくなる」感覚。

粒が荒いと、思い切り手を突っ込むと傷ついてしまうし、

逆に粒が細かいと、手に張り付いてしまって融通が効きにくい。

そういうマイナスな想像できてしまうと、ついつい尻込みしてしまうものだ。

「砂」というのが一番人に優しく、気持ち良く遊べる距離感なのかもしれない。

思えば、砂場でなくとも、砂浜なんかでも無性に手を突っ込みたくなり、山を作ってみたくなる。
「砂」というのは元々そういう存在なんだ。

 

砂に手を突っ込むと、一粒一粒の感触が手を覆い尽くし、入れた衝撃でサラサラと形を変えていく。

手を動かすことで、幾千もの小さな粒がワーッと声を上げて大移動する。
その大移動が音と感触で物凄い伝わってくる。

砂の山を作ろうと、手でぐわしと砂をたぐり寄せると、その場に留まる粒と、耐えきれずワーッと流れてしまう粒がいる。
砂の特性、それがはっきりとわかりやすく現れてくれる

このプレイヤーの一つ一つの行動に、砂はプレイヤーに危害を加えることなく、ダイナミックにリアクションを返してくれる。

それでいて、プレイヤーが満足したら、手をはたくだけで綺麗さっぱり気持ち良く砂場とお別れすることができる。

なんとも人間にとって都合の良い遊具なんだ。

 

「砂場」という遊具は、公園の中で唯一柔軟で、多用的な遊びができる存在だ。

砂山を作ったり、それでトンネルを掘ったり、なんなら水を入れて川を作ったり。

しかし、砂場での遊びはそういった具体的な遊び以上に、ただただ砂と戯れるような、名前にもならないなんとなくの戯れ、それができることの方が価値あるように思う。

そういう気持ち良く感覚的に遊べるのが、公園の遊具としては合っているのかもしれない。

 

砂場、侮れない存在だ。

人で喩えてみると、ぜひとも友達になってほしいタイプだろう。