戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

自分を卑下しまくる優秀な友人

 

私はデザイン系の大学に入学した当初、2人の友人ができた。

その中の1人は特に優秀な奴だった。

クラスが違ったので詳しくは知らないのだが、よく課題で制作した作品が選抜として選ばれていた。

当の私は、「面白いものを作りてぇ!」という気持ちだけ先行して、基礎的なことを疎かにしていたので、最終的に出来上がるものは初心者の私でもよくわかるくらい粗弱なものだった。

そんな私の作品を、その優秀な友人が見て、よく軽く嘲笑われていた。

もう、それがたまらなく悔しかったことをよく覚えている。

 

しかし、私も彼の作品に文句が言いたかった。

彼の作品は確かに整っていたが、面白くはなかった。

というか、彼はそういう面白さを求めてすらいなかったのではないかと思う。

そういう熱意は彼には感じられなかった。

こだわりがない。

彼は本当にすました顔で、収まったことをこなす。

そんな奴に私の作品を嘲笑われる筋合いはないと思っていた。

彼とは友人であるが、そういう面ではライバル、いや、もはや敵意を持っていた。

そんな彼は、恐らく私の事はなんとも思っていなかっただろう。

そんなところも腹が立つ。

 

そんな彼とは、2年生からはお互い別々のコースに進み、関係が薄くなった。

彼がその後どういう学生生活を送ったのかわからないが、そのまま大手企業に就職したとこを見るに、相変わらず優秀なようだった。

しかし、まあ、なんでか疎遠にはならず、本当に時々だが、卒業後もちょこちょこ連絡は取り合っていた。

友人であるのは間違いないのだが、学生の時も一緒に遊んだことはほぼなく、彼のことを深く知る機会はなかった。

こうして、卒業後改めて話してみると、彼が気持ち悪いほど謙虚であることを知った。

いや、もはや謙虚なのかわからないくらい、口を開けば自身を卑下するのである。

とにかく自信がなく、自分自身を貶し、自分が作った作品を貶し。

学生時代、そういうタイプの生徒は割といたが、彼のようなある程度優秀であることが約束された人間が、ここまで言う必要はないだろう。

確かに、上には上がいるのだろうけど、だからと言って彼に熱い向上心があるようにも感じられない。

なんなんだコイツは。

 

もうとにかく、自分のあらゆるものを問答無用に卑下する彼を見ているうちに、ここまで卑下できることに感心してしまった。

私だって、自分のことを卑下することはあるが、なんだかんだ心の奥底ではそうは思っていなかったりする。

しかし、彼の卑下は完璧だ。

そこらの、なんちゃってネガティブ人間とは比べ物にならない。

私は自分を卑下することは良くないと考えていたし、特にクリエイティブにおいて謙虚と履き違えた自己嫌悪による自己防衛は、そのものづくりを台無しにすると思っていた。

実際、そういう人たちをたくさん見てきた。

しかし、彼はもしかすると、この卑下を上手く利用してここまで登り詰めた人間なのかもしれない。

つまり謙虚マスター。

自分自身を卑下しているが、だからと言って精神的に追い込まれている様子はない。

立ち姿は確かに俯いているように見えるが、むしろ精神的にはとてもふくよかに感じた。

彼は、自分を卑下すると同時に、周りの人たちを心から尊敬していた。

なるほど、そういうことか。

その姿勢が、上手くバランスを取り合っている気がする。

 

「私はここまで上手く自分のことを嫌いになれない」

昔は彼のことを目の敵にしていたが、そんな彼について触れて知ったことで、もはや「完敗」を感じた。

正直、彼に憧れていたところもあった。

しかし、これは私にはできない。

できたとしても、なりたくない…かな。

人には人のスタイルがあることをしみじみと感じた。

私は私のスタイルを築くしかない。

そうやって、彼の自分を切り離せたとき、彼への嫉妬心は綺麗どっかに飛んでいった。

 

彼とはデザインとか、そういった真面目な話はしない。

彼は優秀なくせに、そういった話をしたがらない。

代わりに、オタクな話で盛り上がったりしている。

しっかりとしたオタクの話ができる友達はいなかったので、心置きなく話せる相手がお互いできて喜んでいる。

なんで学生の頃にできなかったのだろう?

あぁ、私はいつも気張っていたからなぁ…。

彼のスタンスもしっかり学びたい次第です…。