「逃げる」は「戦う」くらい難しい
時々「逃げてもいいんだよ」というような言葉を見かけるが、よくよく考えてみると「逃げる」って「戦う」と同じくらい難しいんじゃないかと。
まあ、この言葉って、「逃げる」という選択肢もあるんだよと、道はそれだけじゃないんだよと、そういうような言葉なんだろうけど。
逃げられるなら、いくらでも逃げたいものだ。
でも、逃げた後どうする?
別に逃げたって綺麗さっぱり問題が解決するわけでもなく、ある意味では路線から外れる分、より密接に問題と向き合わなくてはならなくなったりする。
どうも、「逃げろ」と言われると簡単そうに聞こえる、第三者から「なんで逃げないの?」なんて言われるけど、そういうこと言う奴らって、逃げた後のこととか別になんも保証してくれませんよね。
もちろん、撃沈してしまうくらいなら逃げるべきなんですけど、逃げた後が先が見えないのなら我慢したほうがいいとか、そういう時が多々ある気がする。
「逃げる」は「戦う」と同じくらいの覚悟がいる選択じゃないか。
むしろ「戦う」以上に、その後の処理が大変だったりする。
なんかあれですよね、そんな「戦う」「逃げる」みたいな、はっきり分かれたコマンド選択のようになんでも考えなくてもいいですよね。
戦っているようにみせて、半歩下がっているとか。
ちょっと迂回しながら、突っついてみるとか。
実際はもっとみんな巧みにこなしているんですよね。
むしろ、2択にしちゃう方が視野が狭くなっちゃうような。
もっと柔らかく考えていきたいものです。