遅くしてみる
「物事を面白くする」というのは、やはり漠然としてよくわかりません。
そういう時はとりあえず「物事を遅くする」、それだけで案外面白くなったりするものです。
「ご飯を食べる」というのも、ただパッパッと召し上がるのではなく、いつもより2倍くらいゆっくり食べる。
そうするだけで、今まで気づかなかったことなんかが、結構わかったりする。
綺麗な姿で食べられているのだろうか、ご飯ってこんな味がしていたのか、あぁやっぱりキノコは苦手だな、この味を作っているのはなんだろう、白飯ってなんでおかずの合うのだろう、ジャガイモはもう少し小さい方が美味しいかも…。
シンプルにそれと接する時間が増えることで、一つ一つの行為や、要素と嫌でも向き合うことになります。
どちらかと言うと、世の中は「早い」方が良いとされています。
やはり何事も大きい方が良いように、わかりやすく長けているものに人は惹かれるものがあります。
学校では、かけっこが速い人がヒーローです。
私の仕事が早い優秀な友人も言っていました。
「はやいからこそ見える景色がある」と。
私は「なるほどぁ!」と言いつつ、心の中で「それなら遅いからこそ見えるものもあるってもんでしょ」と、軽く反骨心を抱かせていました。
でも、実際そうですよね。
新幹線の窓の流れゆく景色は面白いですが、ゆっくり歩かなければ、道端にゆっくり移動しているカタツムリは見つけられないものです。
特に今日では時代の流れが鬼のように早い時代です。
その中でいかに「遅い時間を作る」かが、結構ポイントなように思います。
遅い時間軸の方が貴重なのです。
しかしまあ、「よし、遅くするか」とは、なかなかならないのも事実です。
だからこそ、なにかしら「遅くする工夫」を考えないといけなかったりします。
例えば、例えばですよ?あえて使いにくいお箸を作って使うとか。
そうすることで、結果的に時間軸が遅くなります。
しかし、ただただ使いにくい箸を作るだけでは、人によってはただただイライラするだけの場合もあります。
「時間を遅くする」というのを「ただの嫌がらせにならない」ような、そんなデザインが必要となってきます。
例えばなんだろう…なんでしょうね?
こっから先はやはり第三者に向けてのデザインとなるので、考えるのが難しくなります。
ですが、自分用でしたら、「爪楊枝だけでご飯食べてみる」とか、荒っぽいアイデアでも大丈夫なので、どんどん自分に嫌がらせしてみるのもいいのかもしれません。
それこそストローとか、そういうデザインといえますね。
でもまあ、そういう「遅い時間」を確保するために、どうでもいいことを「早い時間」にするんでしょうね。
効率的にゆっくりいきたいですが、そんな甘くはないですかね。