戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

線香の香りを嗅いで思うたこと。

 

この前、蒸し暑い外で散歩している時、とある家の横を通り過ぎようとするとスッと線香の香りが鼻に入ってきた。

面白いもので、蒸し暑つさを耐え、眉を細めながら、汗を滲ませながら、カツカツしなが歩いていたというのに、線香の香りが鼻に入った瞬間、今までの気持ちが吹き飛んでスンと落ち着くような感じがした。

落ち着くというか、落ち着かせられたというのが正しいか。

線香って匂いの風味としては渋いというか、優しそうな顔していますけど、どんな香りに負けないくらい強烈ですよね

鼻に入った瞬間、鼻で感じるというより、そのまま脳に刺激を与えられているような。

線香の香りを嗅ぐと、どんな場所で、どんな状況で、どんな気持ちであっても、あの畳の引かれた和室で座布団の上で正座させられる、そういう固有結界というか、幻覚というか、そういうイメージに引き釣り込まれる。

とある本で、昔、占いや呪術の儀式をする時、幻覚作用のある香りを焚きながらやるとか、そんなことを読んだことがある。

シャーマンといった役所の人は、お面やそういった香りなどの外部の影響によって酔うことで、自分ではない何かを乗り移らせて予言といった人智を超えた下そうとしていたそうだ。

それは一種「演技」であるが、何か意図や企みを持たぬ、主導権を置いてけぼりにして自分という枠組みに別の何かを入れてしまう、いわば「演技するための道具」として自身を落としてしまう、そんな風に思う。

 

話が少し逸れたが、匂いというのは五感の中でもあまり日常的に意識されない部分だが、その代わり匂いを感じ取った時はとても重要な時なように思う。

何か腐っている匂い、焦げている匂い、雨が降りそうな香り、そういう香りの粒子が一つでも鼻の中に入れば、ビビッと脳に刺激とイメージが送られる。

その瞬間、自分の中のスイッチが切り替わるような、それくらいのパワーがあるように思う。

 

「遊び」という面では、あまり匂いや香りは使われることは少ないというか、扱い辛い分類だが、匂いを嗅いでトリップするような、そういった体験、感覚は大事にしていきたいと思う次第です。