戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

ひとりの登下校時間

 

中学生の頃、私にとって登下校の時間はとても大切な時間でした。
当時はそうは思っていませんでしたが、今こうして振り返るとあの「登下校の時間」というのが欲しくなってしまいます。

家と中学校の距離は歩いて20分程度。

私の家の方向には友人がいなかったこともあり、登下校は基本1人でした。

いや、むしろ1人がいいのです。

私にとって登下校の時間というのは、ぼけーっと1人妄想にふける時間でした。

私はこの頃からゲーム大好きっ子でしたが、当たり前ですがゲームをやれる時間というのは限られています。

だからこそ、いかにゲーム外の時間でゲームを楽しむかというのが重要になってきます。

ゲームの話を展開させて、オリジナルもの物語を作ったり…そんな妄想にふける絶好の時間が「登下校」でした。

妄想において、うまく頭の中を動かすには、歩くようなある程度動いている方がやりやすい。

また、学校や家といった目的地がしっかりとあり、かつ、周りの環境に自分を邪魔する要素がない。

まさしく妄想に打ち込める最高の環境でした。

もはや、登校中に友人を見つけたら、隠れて妄想の時間を確保しようとする、その程度にまで拗らせていました。

妄想を楽しむようになってからは、妄想を捗らせるためにゲームをしたり、テレビでアニメをみたりと、ネタになるものを探すようになったり。

思えば、この頃が一番純粋にものづくりに明け暮れていたのかもしれません。

 

ついでに、高校になってからは自転車通学となってしまい、それなのに妄想の癖が抜けず、何度も事故って高校3年間で自転車を3台破壊しました。

今となってはそういう「自分ためだけの時間」というのは、なかなか作り出せていません。

「登下校」と「散歩」は、同じようでやっぱり違うんですよねー。

そういう時間というのは、なかなか意図的に作れるもんじゃない気がします。