占い、あれこれ
占いって面白いですよね。
お金を払ってやるような、そういうガチ目の占いはやったことないのでわかりませんが、テレビや雑誌とかでの簡単な占いはついつい釘つけられてしまいます。
占いが当たっているとか、信じるとか、そういうのは正直ないんですが、ないはずなのに星座占いとかで順位が高かったら嬉しくなるし、低かったら残念な気持ちになります。
ただ本で文章を読むのと、占いでの文章を読むとでは、同じ文章でも占いの方が積極的に読もうとしちゃいますし、なんなら無意識に寄り添おうとしちゃっているかもしれません。
個人的には占いってセルフケアに近いなーと思います。
自分というのは、自分という一方向の視点でしか捉えることができず、ゆえに見えにくい部分が出てきてしまいます。
その見えにくい部分というのは、自分自身でどうにかするのは難しいです。
「自分で」の時点で、自分の視点という方向性が強くなってしまいますから。
そんな時に占いという、外から自分に向けた視点は助かります。
占いの内容を聞きながら、最近のこととか、自分の言動とか、そういうのを自然と振り返ることができます。
占いが当たっているとか、信じているとか、そういうことより、自然な流れで自分を振り替えられるというのがめちゃくちゃ貴重なように思います。
自分一人で、机に向かってうーん、うーんと考え込みながら自分を振り返ろうとしても、なんだか上手くいかないものです。
占いというのは、ある意味では鏡みたいなものなのかもしれません。
鏡が外面を映すのであれば、占いは内面を映すのでしょうか。
鏡で自分の外面を確かめながら髪をセットするように、占いでは見えない内面をセットしてみたいのかもしれません。
もちろん、鏡とはまったく違う原理ですが、やりたいことは似ているのかもしれません。
鏡として運用するには、その現れているものを自分、もしくは自分の一部として捉える必要があります。
しかし、占いの凄みは、鏡のように完全に自分を映していないところでしょう。
占いでは、言葉や文章といった、自分ではないもので自分というのが表されます。
だからこそ、普段では気づけないことや、見えない部分が見えたりするのかもしれません。