うまく針の穴に糸を通してみたい
針の穴に糸を通す。
学校の家庭科の授業にてやったきり、もう随分とやっていない。
随分と昔の記憶ですが、あの針の穴に糸を通す戦い、そのイライラの感覚は鮮明に覚えています。
裁縫で何をやったのかはまったく覚えていないのに。
糸通し器でしたっけ、そういう便利な道具があるというのに、それを使うとなんか負けた気がして、懸命にイライラしながら糸を通そうとしていました。
なんでそんな嫌な気持ちになってまで、糸通しを使わずにやっていたんでしょうね。
ただシンプルに通したかったんでしょうね。
自分の中では見事に針の穴に糸を通しているビジョンがあるけれど、実際そうとはならず、イメージとは裏腹に情けなく糸がぐにゃっと曲がりやがるのです。
悔しい。
難しいと言ったって、空いている穴にものを通すだけなのです。
できないことはないんです。
「できないこともない」というのに、糸通しを使うことで「できないこと」としてしまう、それが無性に嫌だったんです。
嫌というか、なんかもったいないですよね。
せっかくならやりたいですし、頑張りたい。
そんなことに熱中して、夢中になって拘っているくせに、いざ糸を通しを成功させて縫おうとすると、てんでダメで嫌になってるんですけどね。
そこではその拘りは発動しないのです。
発動したくとも、裁縫に関してはもう「できそう」にすら持ってこれないのです。
ただ「できない」を噛み締めて拙く縫い合わせることしかできないのです。
「できない」ものはできないのです。
だからこそ、「できそう」なことくらいはできる側に持っていいたいし、持っていく努力もしたいものです。
また、「できない」ことをできないままやってみること、そして、「できない」ことを「できそう」にまで下ろしてくること、それもまたとても大事なことだと最近しみじみと感じております。