戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

消えた録音

 

スマホのストレージがいっぱいいっぱいだったので、ふと思い立って削除できないかとポチポチ触っていたら、ボイスメモのデータが吹き飛んでしまった。

別に重要なデータがあったわけじゃなかったし、それだからだいぶ勢いで操作してしまったのだが、いざ消えてしまうとショックである。

以前、似たようなのを2回ほどやらかしたことがあるのに、なんでまたやらかすのかと自分が嫌になってしまう。

何事も勢いだ、勢いがないと始まらないというのがあるが、勢いというのは始められるだけであって、始めてからも勢いではよろしくない。

物事を進めている時に勢いを発動して、うまくいけた試しがない。

それなら、全然進まなくても、10分の1でもいいから確かに踏み込めた方が成果はある。

ついでに、消してしまって焦って、勢いのままなんとか復元できないか試行錯誤して、もっと大事になりそうだった。

 

ボイスメモで消えて一番辛いのが、昔、友人と一緒にゲームした時の音声記録データだ。

そんな音声、いつ聞くんだって代物だが、あの懐かしい思い出が完膚なきまで消し飛び、もう二度と戻ってこないと思うと辛い。

辛いから、その時の振り返りの話を友人としようと思う。

そして、その会話を録音することで、この消えた思い出の傷を埋めようと思う。

やってしまったことをネガティブに捉えても仕方ないし、かと言って無理にポジティブに捉えるのも気持ちが悪い。

欠けた穴を、欠けたからこそできることを考え、この出来事を昇華させていきたいものです。