戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

捨てること、あれこれ

 

捨てるというのは怖いものです。
そっちから勝手に離れていくなら諦められるものですが、捨てるとは自らの判断で下さないといけないので嫌なもんです。
全然使ってない物でも、いざ捨てるという判断を下すのはあまり気分が良くない。

持っているというのは素晴らしいことです。
例えば、思い出というのは時の流れによって薄れていくものですが、写真のようにそれを物体にすることで、その形なき思い出を持つことができます。
そして、何より物体化された思い出は、昔を振り返ることだけでなく、そこには当時気づくことのできなかった部分にまで触れることもできます。
ただの日常も、こうして一度形にして、持ってみて、そこで離れたり近づいたりして一緒に過ごすことで、面白くなっていくものなのだと思います。
しかし、物体化にもデメリットがあります。
自分の持てる量には限度はありますし、それをどこかに保管するにしても場所の限界もあります。
あまりにも物を抱えすぎると、空間が狭くなり、身体の動きが遅くなって居心地が悪くなっていきます。
だから、一度捨てなきゃいけないのですが、どれを残し、どれを捨てるのか、その選別というのは難しいものです。
それを考えるだけでとても疲れてしまいます。
そこまで拗れてしまった時は、思い切って大切なものも、しょうもないものも、ぜーんぶ放り投げるしかない。
本当に大切なものはどんなに捨てたくてもこびりついているし、後悔したらしたらで自分の大切な物が何かはっきりできます。
次からは捨てずに、それがぐちゃぐちゃにならないように考えながら整理整頓していけばいいのです。
だから、ダメになったら放り投げるのです。

そう思うと、捨てるというのにも上手下手があるんだろうなぁ。
そして、いきなり上手に捨てられると思うなよと。
次に拾う覚悟があるから、捨てられるもんなんでしょうね。
過去を愛でるのもいいですが、もう少し先に期待してもいいのかもしれせん。