休むはむつかしい
なんだかんだこのブログは2ヶ月くらい毎日頑張って書いていましたが、昨日はちょっとキツくなっちゃって休みました。
たった1日しか休んでいないのに、面白いことに今日こうしてブログを書こうとするとめちゃくちゃ久しぶりな感覚があって、なんか気分がいいですね。
たまには休んだ方がいいのは間違い無いのですが、いい感じに休むって難しいです。
よく学生の頃は課題に対して徹夜してやり切ろうとしていましたが、もちろん計画性がないということなんですが、それ以上に休むというのをうまく組み込めないというのもあった気がします。
いつ、どのように休めばいいかわからないから、じゃあ限界まで走ってしまおうと、そういう短絡的に考えてしまうのです。
休むというのは、ある意味怖いものです。
キリンの1日の睡眠時間は20分だそうです。
野生の動物は、外敵に襲われる危険性があるので、なかなか心の底からリラックスして休むことができません。
人はそういう外敵から襲われることも基本ありませんし、自分の家という安全な空間も確保しています。
しかし、それでも、足を止め、なにもしない、隙を見せるというのに不安感というのはあります。
そして、そんな心配が心のどこかに少しでもあったら…それこそ休むことも不完全になってしまいます。
「休む時間がある」と、「ちゃんと休めるか」というのは別問題です。
不貞寝って結構好きな感覚です。
「あーもう、しーらね!」って、もう諦めちゃって、ある意味究極的に気持ちよく休める気がします。
休むことについて悩んでも余計休めなくなるだけなのだから、結局とりあえずやって、やって、やって、んで「あーもうむりー」ってどっかのタイミングでスッとギブアップしてみる。
このギブアップのタイミングというのが結構ポイントになってくる気がします。
早いのもよろしくありませんが、私の友人にはどんなに苦しくてもギブアップしない人がいるので、それはそれでどうなのかと思ってしまいます。
いや、もう「そんなうまく休めるかってんだ」くらいの諦めのスタンスがいいです。
そこは非論理的なところに置いておく、それを許してしまうというのが大切なんじゃ無いでしょうか。