戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

エヴァンゲリオン、あれこれ

 

かの有名なエヴァンゲリオンというアニメ、熱く語れるほど詳しく観ているわけではないのですが、この作品の主人公であるシンジくんはとても魅力的に感じます。

わりとネットとかでは、シンジくんはナイーブで、見ててイライラする主人公だとか言われているのを見かけます。

確かにアニメを観ている側からすれば、世界を救うヒーローになれていいじゃんと思ってしまいますが、当の本人からすればなんか適正値が高いからという理由で、よくわからんものに乗せられて、よくわからんものと戦わされて、人類の存亡の瀬戸際を任されて。

「ちょっと待ってくださいよ」と言いたくなりますよね。

でも、本人の心の整理が着くとか、そんなのお構いなしにヤバイ奴らが攻めてくるものだから、とりあえずやるしかないんです。

そう思うと、シンジくんはむしろめちゃまともで、めちゃたくましい人間だと思います。

 

シンジくんが大切にしたいのは身の回りの身近な事柄なんです。

家族とか、友達とか、自分のこととか。

でも、社会や世界はそんなこと気に留めてられないんです。

「どうでもいいこと」で片付けられて、踏み茶々食ってしまう。

それは、シンジくんにとってものすごく残酷で、すっごい傷つけられる。

しかも、その傷を癒して、自分を納得させる時間すらもらえない。

どんどん傷を増やしながら、踏ん張ることしかできないんですね。

それが大人になるということなのでしょうか。

 

大人というと、シンジくんの保護者的なポジションでもあるミサトさんも複雑ですよね。

ミサトさんってまさしく大人って感じな人で、普段はだらしないけど、仕事になるとキリッと真面目にこなす、ちゃんと切り替えができている人です。

というか、どちらかというと仕事側に寄っていますが。

だからですかね、シンジくんとはやっぱりうまく接することができない。

いや、家の中とかでは仲良く接することができるのですが、やっぱりミサトさんは仕事側の人間なんです。

保護者ならシンジくんを守らないといけない場面なんです。

「もう乗らなくていいよ、ゆっくり休みなさい」

そういう風に声をかけることができないんです。

シンジくんにはエヴァンゲリオンに乗ってもらわないといけない、最後の最後は仕事としてのミサトさんで接しなければならないのです。

その部分のミサトさん葛藤というのがとても味わい深い。

ミサトさんも、恐らくシンジくんと同じ目に合った人なんです。

世界に理不尽に殴られて、シンジくんが大切にしたいと思っているような部分を抑圧し、そのまま大人にならざるおえなくなった人なのです。

そう考えるとミサトさんのアニメクライマックスでの「行きなさい!シンジ君!誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!」というセリフは、仕事としてのミサトさんを投げ捨て、一人の人間として一人の人間であるシンジくんに心からの願いの言葉なように思います。

熱いですね。

 

エヴァンゲリオンって、めちゃくちゃぶっ飛んだ作品に見えますが、それ以上にちょっと気持ち悪いほど素朴に、人や世界の動きや考え、在り方を丁寧に描いている作品なんじゃないかと、勝手ながら思っております。