戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

マウスカーソルとラグ

 

マウスカーソルは自由自在に動かせる。

ここに動かしたいなぁと思ったところにスッと動かせる。

自分の身体と同じくらい融通のきくものである。

だからこそ、ちょっとでも動きがカクついたり、追従が遅かったりと、少しの違和感も気づいてしまうし、それが強い不快感になってしまう。

 

ふと、いっそのこと思いっきりズラしたらどうなるんだろうと思う。

例えば、マウスを動かして、その動きがカーソルに伝わるまで1週間のラグがあるようにしてみる。

そうすると、画面の動いているカーソルの動きは1週間前の自分の動きとなる。

普通のカーソルというのは自分に近いものと感じていたのに、1週間のラグのあるカーソルの動きというのは変わらず自分なんだけど、その自分というのをとても客観的に見ることになってしまう。

例えば、あえて変なマウスの動かし方をして、その動きを見るのは未来の自分となるわけです。

それがとても興味深く感じるような気がする。

また、これが1年とかになるともっともっとエモくなるだろう。

星の輝きみたいですね。

なにか、自分というのが分身したような感覚だろうか。

未来への自分の贈り物というか、未来の自分へのイタズラというか。

 

そう思うとこの間というのも、やり方次第で面白くなるというか、むしろ間がなければ到達できない何かがあるように感じます。

この間というのも愛したいものです。