達観する
達観した姿勢に腹立たしさを感じてしまう時があります。
あの姿勢というのは自分はその土俵に入らず、それより高い位置から見下ろし、それでいて小生意気に図るような素振りをするのです。
まるでしめしめと品定めをするように、それでいてやたら冷酷に、自分を何か圧倒的な玉座に座っているかのように。
それはさぞかし気持ちがいいものでしょう。
しかし、それは「観客」に近い立ち位置なのです。
観客はお金を払うことで、その贅沢な立ち位置を味わうことができるのです。
出し物や試合が終われば、観客という立ち位置も終わってしまいます。
終わるからこそ、健全なのです。
「オレってクソだから」
自分自身をその一言だけで陥らすことで、逆にスッと高台に避難して「観客」になろうとする輩がいます。
自分の人生だというのに「観客」になろうとするなど、一体その立ち位置でなにを観ようとしているのでしょうか。
もう、その姿勢をされてしまっては、なにも言うこともできません。
最強のポジションなのです。
そんなポジションからなにを言ったとしても、それは土俵の人にとってはただの暴力と変わりゃせんのです。
試さないでほしい。
そんなおもちゃみたいに傷つけないでほしい。
傷つけるならせめて土俵に立ってほしい。
なんか土俵に立ったような顔でふんぞり返らないでほしい。
そう思ってからは、達観した態度を取らないようにしているし、自分自身を悪く言うのもやめるようにしています。
いや、もしかしたら、全然やってしまっているのかもしれません。
たとえやってしまっていても、少しずつでいいのでそう甘えてしまう自分をビシビシと叩いてしっかり立つようにしていきたい。
ほんわかと生きていきたいけど、そこだけは曲げてはいけない。