戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

スケルトン

 

ケルトンっていいですよね。

機械とかのフレームが半透明になっていて、中身がうっすら見えるやつ。

見えたところでその内部構造がどういう働きをしているのか、そんな知識もないからなんもわからないのですが、よりメカメカしく感じるというか、ワクワクしてくる。

普段は見えなくていいというか、むしろ機能的に考えるなら気が散る要素は省いた方がいいので見えない方がスマートであろう。

中身が見えていると禍々しさが出てきてしまうし。

けれど、その禍々しさがいいというか、機械的なものが機械的に振る舞っているのがしっくりくるというか。

こういう裏側の部分って余分だから隠してしまいがちだけど、裏側は悪と断定しちゃうのはもったいない気もする。

あえて見せちゃうというのも、作っている側と使っている側の距離が縮まってスムーズなコミュニケーションにつながることも多々ある。

特に機械のような、使っている側が構造を理解できないような、作っている側と使っている側の距離が離れている時は有効なのかもしれない。

 

それにしても、スケルトンって半透明なのがいいですよね。

透明すぎるとワクワク感が薄れるというか。

程よい距離感というのがあるのでしょうか。