戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「ドロダンゴ作り」と遊び

 

ロダンゴを作る遊びがある。

私はそこまでガチでやり込めていなかったが、友人の中にはただの泥なのに羨ましく感じるほど美しくテカテカでカチカチの綺麗なドロダンゴを作り上げている輩もいた。

その段階にいくまでには気の遠くなるほど何回も何回も砂をかけていくしかない。

そんな単調な作業も、いずれは美しいドロダンゴになると知っているからこそ、ワクワクしながら、丹精を込めてできるのである。

しかし、綺麗なドロダンゴを作り上げるには到底1日では難しい。

何日もかけてやっと出来上がるわけだが、そうするためには一度未完成のドロダンゴをどこかに保管しなければならない。

未熟なドロダンゴは簡単に欠けたり、砕けたりする、とても繊細で柔い存在だ。

だからと言って、室内に泥を持ち込むのも気が引ける。

やはり、外のどこかに、誰にも見つからないところに隠すしかない。

この、ドロダンゴを隠すというのも、何かスリルがあって楽しかった記憶がある。

隠して、ドロダンゴを手放すのは心配だし、それでも離れなければならない。

そして次の日、急いで隠し場所に向かって、ちゃんとドロダンゴが昨日の形のまま残っているのを確認して無性に嬉しくなる。

一種の「いないいない、ばあ」だろうか。

ただの泥なのに、何か大きな物語の冒険のような、そんな壮大さを楽しむことができたように思う。