戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「つながる」と「はなれる」と遊び

 

「つながる」というのは嬉しいことだ。

友人ができるというのも「つながる」だろうし、自分の好きなことを共有できたら、それだけで嬉しくなってしまう。

好きなものができることも「つながる」だろうし、学んだり理解することも「つながる」ことだと思う。

だからこそ、世の中には色んな「つながるために便利なもの」がたくさんある。

技術や知識の価値というのは、「どれだけつなげられるか、縮められるか」が決めてなのかもしれない。

 

それと同時に、逆である「はなれる」というのも大きな価値がある。

なんでか、「はなれる」という言葉には冷たさや寂しさを感じる。

しかし、「つながる」以上に清らかさを感じる。

どっちが正しいとかじゃないですけど、「はなれる」ということも忘れないであげた方がいいのかもしれない。

それは「孤独になれ」という話ではない。

それは「はなれた」話であり、「はなれている」その最中の話がしたいんだと思う。

 

たぶんですが、私が遊びに求めることは、「つながる」ことより「はなれる」ことな気がする。