戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「気配」と遊び

 

バイト先に行って、更衣室に入ると今日はブワーッと靴が並んでいる。

「今日はメンバーが多いな」とか、「今日は男子率高いな」とか、そんなことを靴の並びを眺めながら想像し、考える。

こういう何気ない「気配」みたいなものが面白い。

人から「今日はメンバー多いよ」と言葉で教えてもらうより、脱がれた靴がいっぱい並んでいる光景を見た方が「今日はメンバーが多い」というのをしみじみと実感する。

LINEで「疲れた」と送られたのを読むより、玄関でドロドロになった靴を見た方が「今日、色々あって疲れてそうだなぁ」って思うんじゃなかろうか。

もっともっと淡い気配も含めて、そんなことを身体的に感じながら人って生きているんだろう。

 

デジタル批判をしたいわけじゃないけど、対話も「じゃあオンラインでZOOMでいいね」って簡単には言えなくて、便利な分そういう「気配」というのも消えてしまっている。

実は「気配」がないというのは扱いにくいのである。

そういう繊細な部分って、効率的に進めていくとおざなりにしてしまいがちだけど、本当の効率性・利便性を追求するなら、なおさらこういう繊細な「気配」は大切にした方がいいのかもしれない。