戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

ずらしジャンケン

 

5人くらいで店でご飯を食べてたときのこと、みんなで分け合って食べていた唐揚げが1つ余ってしまった。

こういう時は、お互いうまく空気を読んで譲り合うか、ジャンケン等の簡単なゲームで誰か食べる一人を決めてしまうのがセオリーだろう。

しかし、メンバーの1人が「せっかくだし、何か面白い遊びで食べる人を決められないか」と言い出し、そんないきなりの無茶振りにたいしてせっせと考えて思いついたのが「ずらしジャンケン」というものだった。

 

「ずらしジャンケン」とは、普通にジャンケンするだけなのだが、ジャンケンに勝った人が唐揚げを獲得するわけではない。

ジャンケンに勝った人の右隣の人がその唐揚げを食べれるという、勝敗と景品がまさしく「ずれた」ジャンケンだ。

たったこれだけのことなのだが意外と面白いもので、この簡単なズレだけでもプレイヤーたちは軽く混乱してしまうのである。

普通のジャンケンなら勝ち=景品の獲得が直接リンクしているので、とてもわかりやすい。

しかし、「ずらしジャンケン」では「ジャンケンポン!」の後に結果が把握されるまで少しラグが起きる。

「俺が勝ったってことは…お前が唐揚げを食えるのか!」と、少しの間の後、ドっと盛り上がる。

ジャンケンに負けた人が唐揚げを食えるという、肩透かしをくらうような感じなのも滑稽で良い。

また、5人中、2人が勝って、決勝戦をした時、既に負けた人が自分の左隣の人を応援するという、普通のジャンケンでは起きえない構図になったのも面白かった。

 

このように「ズレ」が生じることで、「ジャンケンに勝つ」というゲーム的な価値と、「唐揚げが食べられる」という価値が分離され、「1人だけが勝って得る」という競争的なゲームから、より広く皆で価値を味わえるプレイヤー間で戯れ合うゲームになったと言えるだろう。

ジャンケンに勝つことが「相手に唐揚げをプレゼントできる」という行為に変わっており、勝って自分で唐揚げを食べるより、なんでか嬉しいというか、そこにコミュニケーションが発生しているのである。

 

なんとなく生まれたゲームだったが、個人的にはとても興味深い感覚を得る体験となった。

こんな感じで、簡単に崩してみて、その遊びの感覚の変化を知るというのも面白いものだろう。