戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「ピクミン4」と、遊びの戒め

 

先日、私のお気に入りのゲームである「ピクミン」の新作発表がついにされました。

驚きました。

ずーっと「こないかな、こないかな」と待ち望んでは、音沙汰がなく悲しみに暮れ続けた日々。

えらく長く感じてましたが、調べてみると前作が発売されてから約9年経っていたようです。

いやはや、どうりで。

 

新作はどんな感じになるんでしょうね。

実は、ピクミン好きを名乗っている割には、前作の「ピクミン3」はあまり肌に合わなかったのです。

ただ、「ピクミン3」を遊んだ環境は、いろいろな事情が重なって、純粋無垢な初見プレイの状態ではなかったので、微妙に盛り上がらなかったのはゲームというより自分のせいな気もします。

いや、それでもやっぱり「ちょっと違うな」という感覚は拭えない。

それがなぜなのかは、正直はっきりとはよくわからないのですが。

ただ、私のようなピクミンシリーズ既プレイではなく、「ピクミン3」で初めてピクミンというゲームに触れる人たちにとってはとても遊びやすいようで、初めて触れるピクミンの世界観にわぁっと楽しそうに戯れ合っている様子を見て、改めて「人によって面白さが違うこと」「自分の面白さの感覚が絶対ではないこと」を痛感しました。

前にも書いた気がしますが、「面白さ」という感覚は本当にアテにならないです。

だから、やっぱり例え自分が「面白くない」と思っても、安易にバッテンの烙印を押してしまわずに、もう少し過激にならず、ゆったり眺めてもいいんじゃないかと、そう思います。

烙印押しちゃうと、それでもう終わってしまいますし、なにより、その烙印を押した自分が正しくなるように動いてしまうんです。
それは、本当にもったいない。

私にできることは遊び手としてベストを尽くすこと。

変に、審査員ずらをしてしまってはよろしくない、もったいない。

ピクミン4」では、しっかり純粋無垢に戯れたいものです。