戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「リセット」と遊び

 

もしも、子供時代に戻れるとしたら、もう少しちゃんと勉強したかったな。

部活も、変に堅苦しくやってたけど、もう少し気楽に楽しめたんじゃないかな。

しかし、いくら考えても子供時代には戻ることはできない。

けれど、遊びの中でなら、いつもで最初からに戻すことができる。

ボードゲームの人生ゲームだって、例えルーレットの出目が悪くて借金だらけで終わったとしても、もう一度最初から、やろうと思えば始め直すことができる。

過去の反省を活かし、より良い人生を歩むチャレンジをすることができる。

逆に言えば、リセットがされることを知っているからこそ、気軽にかつ純粋にそのゲームを楽しむことができるとも言える。

リセットがあるからこそ次があり、今の結果を受け止め、ゲームを終わらすことができる。

リセットがあるからこそ、現実ではやらないようなおふざけやビックなチャレンジを、遊び心をぶつけられる。

 

「リセット」というのは、遊びにおいて主役を張った要素ではないが、そもそもこのリセットがあるからこそ、1つ遊びは成り立つのかもしれない。

リセットできるは価値なんです。