「あわよくば」の落とし穴
「あわよくば」を狙ってみる。
それは、とても賢いやり方と言えるでしょう。
あわよくば、盛り上がって人気が出る。
あわよくば、バレずに難を逃れられる。
そうやって、一つの希望を残しておくことで、悪い確率を下げて、良い確率を上げられる。
「あわよくば」を狙ってみる。
しかし、それは汚らしい姿勢とも言えるでしょう。
「あわよくば」の可能性を残すことで、本来が持つ可能性というのを殺してしまうのです。
大事な場面ほど、失敗を恐れて「あわよくば」を考えてしまう。
いや、どうでもいい場面こそ、気を抜いて欲をかまけて「あわよくば」をばら撒いてしまうのか。
「あわよくば」と「策を用意する」は違うんです。
「策を用意する」には責任があるんです。
はっきりとした「策」を提示し、責任を持って実行する。
しかし、「あわよくば」というのは、欲にかまけて手をつけるだけなんです。
たとえ、それがダメだったらスッと手を引いて知らん顔をすればいいのです。
非常にずるいですが、賢いとも言えます。
なにせ、自分を失敗しないポジションに置くのだから。
しかし、まあ、「あわよくば」っているのはどういう結果であれ、何も進んでいないと言えます。
いわゆる「その場しのぎ」ってやつです。
そりゃそうです、動かずに手だけチラッと触っておいているだけなのだから。
「策を用意する」というのは結果がどうであれ、一歩踏み込んでいるわけですから、進歩につながります。
この2つって、他者からすればどちらも同じに見えるけど、本人からすれば全然違うものなのです。
「あわよくば」で進んでいるつもりになっていたら、そりゃとんだ幸せ者でしょう。
はい、気をつけます。