考えて切ってしまったら、つまらない。
なにか小難しいことを考えることや、それについて話すことは好きです。
しかし、「ものをつくる」時にそういった行為はあまりしたくありません。
なんだったら、それがクリエイティブの邪魔になってしまう時すらあります。
こういったクリエイティブを前に、議論や企画をせっせとやりすぎると、「わかった状態」から手を動かす羽目になります。
「わかった」とは言ったものの、正しくは「わかった気でいる状態」のことです。
そもそも、議論や企画でやれるのは限界があって、それ以上のことは「やってみないとわからない」はずなのです。
物事をうまく押し進めたい、綺麗に済ませたいがあまり、この決して断定できない領域まで決めてしまいたくなるものです。
「わかった状態」からクリエイティブを始めてしまうのが悪いか良いのか知りませんが、個人的には「つまらない」ように感じてしまいます。
議論や企画で完璧まで詰めてしまうと、もうそこでゴールしてしまっており、その後クリエイティブの活動が「それ以下」になってしまうのです。
仕事なんかだったら、それでもやれたりするものですが、自主制作のような、プライベート的な活動でしたら相当キツイものとなってしまいます。
むしろその場合、自分を「知らない状態」にする方が大切になってきます。
私はクリエイティブは「どうなるかわからないから作ってみる」という、実験的な感覚が活動の根源になってくると思っています。
どう花咲くか未知数だからこそ「期待」が生まれ、「わからない」からこそ、一つ一つのクリエイティブな行為に丁寧に向き合っていけるものです。
最初の議論や企画に必要なのは「そこに宝がある」という認識で、そこから先は宝がある方へ進みつつ、やってくる荒波に合わせて「良い方向」になるように手繰り寄せるように選択していくことです。
そこには直感的で、LIVE的な判断が重きにあります。
そうしていく中で自ずとしっかりとした議論や企画をするタイミングがやってくるもので、やるにしてもきっと後なんだと思います。