戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「インタラクティブ」と遊び

 

インタラクティブ、いわゆる相互作用、片方からではなくお互いがやり取りし影響し合うこと。
遊びにおける、本質、根本原理、最重要事項だろうか。

コミュニケーションという言葉がある。
これもインタラクティブと似ているが、伝達や意思疎通の意味合いが強い。
インタラクティブの目的は相手に伝えたり、わかってもらうではない。
相手に影響を与え、その跳ね返りを受け取ること、そういう現象・動きに重きがある。
それは、自分を伝えて相手に理解してもらうことで関係性を構築するのではなく、相手に投げて、その跳ね返ってきたものから相手を理解すること。
色々な投げ方をして、その跳ね返りの変化から相手を捉える。
そして、それは相手を理解するというより、自分なりに相手を解釈し、自分なりに相手を立ち位置を決め、距離を作る、と言った方が正しいか。
お互いが理解し合う必要なんてない。
お互いにとってより相互関係・影響を与えあえる(偏りがなく)こと、それが大切。

ある意味、相手を完全に「他人」として置き、伝達し合って同じグループになるわけではなく、「他者」として尊重しながら繋がることである。

今日では、「つながり」というものを求めている人たちが多く感じるが、実際に必要なのはコミュニケーションではなく、インタラクティブな関係性ではないかと思う。

コミュニケーションの強要、コミュニケーションという免罪符の元に自分の嫌いなものを排除、自分が正しいことを確立させたいがための他者への圧力。
なにか、コミュニケーションという言葉には、あまりにも多用され過ぎて非常に欲深い愚かな言葉に成り下がっているように感じてしまう。
そうではなく、欲とか、企みとか、願いとか、正義とか、そいういうのを一度置いて、より現象的に物事とやり取りすることが必要ではないだろうか。