戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

言葉と刃

 

「言葉は刃物なんだ」なんて言われている。
とてもよくわかる。
私も実際、色々な人たちの何気ない一言に傷つき、悲しさや、腹立たしさ、もどかしさ、悔しさ、色々な感情がぐちゃぐちゃになってきた。
しかし、だからと言って「言葉は刃物なんだ」とスカして言ったところで、どうしようもないものでもある。
相手を傷つけることを恐れて何も言わないのは、一見良さそうに感じるが、それは無責任でもある。
こんなこと言うのもなんだけど、やはり傷つけずに綺麗に生きようなど、あまりにも自惚れ過ぎではないだろうか。

多少、腹括って踏み込まなければ始まりすらしないのである。
そもそも、どういう言葉を使ったら相手が傷つくのか、それを把握するためには多少相手を傷つけないとわからないものだ。
一度も転けないで自転車に乗れるようになる人はいない。
それで、「自転車は危ない乗り物だ」と言ったところで、何の問題も解決していないのである。
けれど、初めて自転車乗るというのに、いきなりウィリーやろうとするのは違うわけです。
身の程を弁えなければ、自分が大怪我するどころか、他者を怪我させる可能すらあるのだ。
擦り傷くらいならいい。しっかり謝罪すればなんとかなる。
けれど、相手の下半身を麻痺させてしまうような取り返しのつかないこと、これだけは避けなければならない。

動物がお互いを噛み合って戯れたりする。
ああやって、時にはやり過ぎて怒られたりしながら力加減を学んでいくものだ。
戯れ合いというのはとても大切だ。