戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「ワイヤレスイヤホン」と「有線イヤホン」

もう結構前になりますが、ワイヤレスイヤホンなるものを買いました。
ただ、あんまり高いのを買うのも気がひけるので安物にしたのですが、ワイヤレスイヤホン起動音のようなものが若干ノイズとして聞こえてくるので、それがちょっと残念です。
ノイズと言っても、外出時なんかは環境音とかであまり気になりませんが。
でも、仕事仲間からの話によると、高いワイヤレスイヤホン はすごいらしい。
ちょっと興味あるけど、あんまりにも良過ぎるのも嫌かもなーって思ったり。

そういう話は置いておいて、ワイヤレスイヤホンを使うようになって、それまで心配していた充電の煩わしさとか、紛失しやすそうなんかは全然大丈夫だったのですが、今まで当たり前に満足して使っていた有線イヤホンのコードが煩わしくなってしまうという現象が起きてしまいました。
あんなちっぽけなコードですが、あれだけで自分の行動を大きく制限させられていたのだと、ワイヤレスイヤホンの自由さを感じたことで気づくわけで。

つまり、たったあれだけ耳に垂らしたコードで、人は無意識に影響を受けちゃっているわけです。
それは結構面白いなーと思いまして、例えば、踵から紐が垂れていたら、たぶん多少なりとも人は影響を受けて行動が変化するのかなと考えたり。
それなら、短パンと長ズボンってだけでも実は変わっているのでしょうか。

人って実は結構「演技」というのは身近にあって、周りの環境から身につけているものまで、色々な影響を受けて「演技」させられているのだと思います。
そう思うと、「まずは形から入る」とか、「まずは環境を変えろ」という理論もよくわかる気がします。
しかし、ただただ「演技させられる」ってのも違うなーと思うわけで。
自分の考えや状況に合わせて、時にはワイヤレスイヤホンにしたり、有線のイヤホンにしたり、そういった「演技する」という意志がなにより大切なんでしょうね。