戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「対立」と遊び

 

きのこの山」と「たけのこの里」の論争がある。
きのこの山」が美味しいのか、「たけのこの里」が美味しいのか。

そんなのどっちも美味しいでいいじゃないか。
そう声を上げれば、平和的な真っ当な意見を言った気になるが、それは全くのお門違いであろう。
そんなこと、皆わかった上で「対立」しているのである。

ぶっちゃけ、皆「きのこの山」か「たけのこの里」のような、所詮お菓子にめちゃくちゃなこだわりがある人は極々一部だろう。
しかし、それでもあえて対立することで所属を実感し、その所属の中でお祭りのようにやんややんやと盛り上がるのが面白いのである。

逆に言えば、お菓子という、まぁそこまで大切じゃないことだからこそ、言ってしまえばどうでもいいことだからこそ、思い切って対立し合えるのである。
いわゆる、戯れ合いだろう。
そう、「対立」と言われると悪い言葉に聞こえるが、「対立」自体は実は人にとって結構面白い状況である。
そして、対立における相手とは「敵」ではなく、自分にとって優秀な「遊び相手」と言えるでしょう。
きのこの山」も「たけのこの里」がいなければ、他と同じチョコ菓子である。
サッカーとかも、相手がいなければただボールを持っている人である。
対立、すなわちお互いが正々堂々向き合っている構図。

そんな清々しい関係って実は結構ないんだよなぁって。
しかし、そんな「対立」の構造を悪用し出すと、本当に落ちるとこまで落ちてしまうものである…。