戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

できない学生


最近、教育現場のようなところにて仕事をさせてもらっています。
お給料はともかくとして、学生の視点と大人の視点の両方が見えるのがとても面白いです。
色んな人が沢山いる環境に身を置くと、人の色々な「いい動き」を見て吸収できるのもいいですね。
やっぱり、あんまり閉ざして引きこもるのはよくない。

自分のポジションとして、一応教育者側ではあるものの、気持ち的にはどちらかというと学生側寄ってしまうものです。
そのせいか、教育者側の動きに少し疑問を感じてしまう時があります。
具体的には書きませんが、「やれ」と言ったことに、学生が「できない」というリアクションが返ってきた時、ものすごく腹を立てているというか、「なんでできないんだろう」という態度を示す。
ただの愚痴として捉えればいいのかもしれませんが、そりゃあできないのが当たり前だと思うんです。
完璧と言える環境にしてもできないというのに、正直なところ学生にとってだいぶお粗末な環境であるのに、「私たちはちゃんとよくやっている」風を出せるなと、ちょっと思ってしまいます。
もちろん、皆決して悪い人ではなく、それどころか、頭が上がらないほどいい人なのは理解しています。
教育者側も大変で難しい環境の中、頑張っているのはひしひしと伝わってきます。
ですが、それは学生側も同じで、その間のいざこざをただの学生側の落ち度として話を進めてしまっては非常にもったいないと思ってしまいます。

「できない」とういことをただの学生の怠惰として片付けるのはまずいことです。
重要なのは、できないことより、それができない状況に陥っていること自体です。
そんな時にただ「なぜできないのか」とか、「やりなさい」と厳しく叱りつけるのは、状況を悪化させるだけです。
もちろんそれを良くすることは、正直第三者には何もできない程度に難しいです。
しかし、せめて悪化させる立ち回りをしない、これだけでも十分価値はあります。
それだけで、その人にはチャンスが残るんです。

学生の時なんて、気にせずに大人にいっぱい迷惑をかけまくっていいと思うんですよね。
むしろ、迷惑をかけないように気にしている方がもったいないんです。
もちろん、度合いはありますが。