リンゴでキャッチボールをすれば、よりリンゴと仲良くできるだろう。
「物事を多角的に見よ」と言われても、困ってしまいます。
なんとなく、多角的に見ないといけないのはわかるし、どういう感じにやればいいのかも想像でいないこともないのですが、やっぱりできないものはできないのである。
机の上にリンゴがあって、「よし、多角的に向き合おう」として、いろんな方向から見たり、近づいたり遠のいたり、食べたり、上から見たり、分解したり、比べたり…。
色んなことができそうなのだが、結局「リンゴだな…」からそんなに抜け出せないのです。
恐らくですが、観測者が「それがリンゴです」と認知している状態では、どう「多角的にみよう」と息巻いてても、そんなに多角的にならないのかもしれません。
ここでの「多角的」というのは、「リンゴを色々な方向から見てみる」ということではないのです。
もっとダイナミックに、「見方」どころか「付き合い方」を変えていかなければならないのです。
いけないというか、その方がわかりやすい。
例えば、例えばですけど、「リンゴでキャッチボールする」とか、それくらい当たり前のリンゴとの付き合い方を壊すことから始めた方がいいのだと思います。
「それで何がわかるんだよ」と思わなくはないですが、でも、それくらい人の想像ができないところまでリンゴを持っていかないと、なかなか人が勝手に作ってしまっているリンゴの概念から脱することはできなようにも思います。
想像の範囲内のことをするからこそ、その既存の想像に足を引っ張られ、本当のリンゴとは向き合うことが難しくなっているのです。
多分ですけど、リンゴでキャッチボールするのは謎の背徳感がある気がします。
やはり食べ物を粗末にすることはいけないことですし、その中で落としてしまうという恐怖を抱えながらリンゴを投げ合うのは、通常のキャッチボールでは味わえない緊張感が生まれるかもしれません。
また、キャッチする時に、ズシッとリンゴの重さと質感を強く感じるでしょう。
「キャッチ」という付き合い方での「リンゴ」の感じ方は、いつものリンゴとは少し違った、ある意味ではいつも以上に「リンゴ」というものを感じられる、かもしれません。
実際はやってみないとわかりませんが。