戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

遊びにおける「プレイヤー」と「観客」

「遊び」における遊び手の在り方は、大きく分けて2つあると考えている。 1つは「プレイヤー」。 もう1つは「観客」だ。 一般的に「遊び」というと「プレイヤー」という言葉が似合っているが、「観客」だって楽しんでいるのだから「遊び」と言えるのではな…

「宝物」はちゃんとしまっておきましょう

「宝物」というのは持ち歩かず、どこかに隠しておくものだ。それは宝石のような目に見える物体のことだけでなく、心の中に持つような無形のものにも言えるのかもしれない。 私はあまり物とかに執着がなく、そういうもので「宝物」のように大切にしているもの…

自分を卑下しまくる優秀な友人

私はデザイン系の大学に入学した当初、2人の友人ができた。 その中の1人は特に優秀な奴だった。 クラスが違ったので詳しくは知らないのだが、よく課題で制作した作品が選抜として選ばれていた。 当の私は、「面白いものを作りてぇ!」という気持ちだけ先行し…

カメラは向けたくないが、写真は撮りたい

私はあんまり写真が得意じゃない。 虹とか、花火とか、久しぶりの友達とか、そういうの今の時代ってスマホっている便利なものがあるから、そのスマホで皆んなパシャパシャ撮っているけど、あれがどうも得意じゃない。 写真で撮りたくなるくらい素敵なものが…

話すこと、書くこと

私は元々文章を「書く」のは苦手というか、好きではなかった。 ついでに読むのも好きではないというか、嫌いであった。 割と「話す」のは好きだった。 「話す」の良いところは瞬間的にフィードバックが返ってくるところ。 自分の考えたことや思ったことを瞬…

マーキングという遊び

昔、散歩が自分の中でブームになっていた時があった。 しかし、毎日同じ道を歩くのも少し味気なく、色々な道筋を開拓したものです。 そんなある日、何気なく道端にあった石ころを拾い、それを何気なく電柱近くに置きました。 それから数日が経って、また同じ…

「嘘つき」の輝き

なにか変な話だが、「嘘をつく」って結構大事なんじゃないかと思う。 「嘘をつく」というのは、基本的には悪い行為とされる。 私の冷蔵庫の中のプリンを勝手に食べておいて、それを別の誰かがやったと「嘘をつく」。 つかれた方はたまったもんじゃない。 平…

「お面」によって演技させられる

私は学生時代、友人と一緒に映像作品を作ったことがある。 その中で私は演者となり、「お面」を被りって演技することになった。 お手製のお面だったので、作りはとてもちゃちく、被り心地も最悪で、視野もピンホールカメラのように点が2つなもんで、歩くの…

「面白そう」と「面白い」

「面白い」と「面白そう」は違う。 両者はかなり密接に絡んでいるが、やっぱり違う。 基本的に「面白そう」が先に来て、その後に「面白い」もしくは「面白くない」がくる。 「あ〜、面白そうだなぁ」と思いつつ、結局やらないで終わる時もある。 また、やっ…

扇風機はいいぞ

今日、扇風機をもらった。 別に私の部屋にはエアコンはあるが、どうも部屋が狭いせいなのか、全然適温にならない。 まったく効いてないか、めちゃくちゃ寒くなるか。 極端。 どうにかエアコンのリモコンの設定を微調整して、いい感じの空間になるよう努めた…

「ものづくり」が下手

大学では「ものづくり」を学んできた。 しかし、当時の私はまったくもって「ものづくり」ができなかった。 それは技術的な問題でも、金銭的な問題でもない。 ただ「成功させよう」と思っていたからではないかと思う。 「成功」とは何か。 人に評価される作品…

「 無人レジ 」で思うたこと

ちょっと都会に遊びに行った時、お店のあらゆるものがセルフになっていて驚いた。自分の家の近くだと、あんまりそういった変化は感じなかったが、都会のような最先端に近いところでは完全無人レジとか、そういうのはしっかり進んでいるんだな。 たぶん、進ん…

不登校の子とゲームする

最近、小学生の子と遊ぶことがある。 始まりは親に遊んでやってくれないかと頼まれたことから。 その子は親の友達の子供で、何を隠そうとも不登校だそうだ。 不登校の詳細は知らないが、とりあえず彼はゲームが好きで、私もゲームが好きだということで、うま…

星座の形をした机

机とは、基本的に四角い形をしている。 机に求められているのは機能性。 人にとって都合の良い高さに平面を置き、そこに物を置く。 そうして、そこでご飯を食べたり、仕事をしたり、色々なことをする。 それら目的における脇役が机である。 だからこそ、扱い…

砂場、あれこれ

公園の遊具の中の一つである「砂場」。 よくよく考えてみると、こいつだけ他の遊具と違っておかしい気がする。 だって、ただ砂が置いてあるだけですよ?ブランコとか、シーソーとか、鉄棒とか、そこらへんの遊具たちはちゃんと作られた感じありますけど、砂…

電車内の人間観察

今日は久々に電車に乗った。 帰り道、色々あって疲れ果て、スマホも覗く気にもなれず、ボケーっと電車内の人々を眺めていた。 電車内の人々は、各々何かしらしているというか、ほとんどの人がスマホをいじっいて周りを気にしていないので観察がしやすい。 じ…

おちょこの形

最近、親がコップとか食器を祖父からもらってきていた。 その中におちょこがあった。 おちょこにも種類があるんですね。 その中で恐らく馬上杯、なんか下の部分が長いやつ。 せっかくなのでそれで、以前友達に買ってもらって封印してある日本酒を飲むことに…

「ちびロボ!」というゲームについて、あれこれ

「ちびロボ!」というゲームをご存知でしょうか。 「ちびロボ!」はCMが印象的でした。 CMでは、小学校での音楽の授業でも歌う「グリーングリーン」が流れていました。 爽やかで、何かワクワクするような、それでいてちょっぴり寂しいような、懐かしいような…

入り口のない公園

前に「入り口のない公園」というのを考えたことがある。 公園は基本的に何かしら柵とかで囲まれていて、どこかに出入口があり、そこから公園に入ってその空間・遊具で遊び、そして時間になったらそこから出ていき帰っていくのである。 わざわざ書く必要がな…

折り紙、あれこれ

折り紙というのは楽しい。ただ、説明の通りに折るだけなんだけど、何度同じ物を折っても楽しい。 それって遊びとしてはすごいことだ。 まず、「折る」という感覚が美しい。 何か折り込むというのは、魂を込めるような感覚がある。 なんの変哲のない平面に、…

階段と遊び

最近、運動不足なのもあって、エスカレーターがあろうとも、階段を使います。 いや、健康という意味だけでなく、実は結構、階段でのぼるの好きなのかもしれない。 私、待つのが嫌いなんです。 エスカレーターとか、立っている時なんか暇じゃないですか。別に…

人生ゲームにおける「ルーレット」

人生ゲームっていうボードゲームありますよね。 私は小さい頃、よく遊んでいました、1人で。 6人くらい人格を勝手に設定して、あとはルーレットを回して、シンプルにその人格の人生がどんな風になるのか、楽しんでいました。 「あ〜、赤は子供沢山作ってお…

プレゼンを面白くしようとしていた頃の話

私はデザイン系の大学に行っていたのですが、デザイン系となると課題でモノを作るわけで、それを発表するためにプレゼンをすることになります。 プレゼンというのは妙に嫌なものです。 ただでさえモノを作って形にするのも大変なのに、それを知らない誰かに…

遊び作りとは、滑走路作り

遊び作りとは、滑走路作りなのではないかと、ふと思った。 というのも、私は遊びを作っていく中で、プレイヤーへの最後のイメージとして「放り投げる」というのがある。 丹念に遊びを練り固めていって、整えて、壊れないように補強して、スパイスを加えて…で…

「記録」が好き

私はだいぶ考え込んじゃう人間だ。 考えることが好きで、なんでもかんでも自分の中で広げて、自分なりに整理して、自分なりに納得したい。 決して悪い癖ではないが、時には余計なことを考えすぎてしまって、身動きが取れなくなるどころか、ストレスで何もし…

ブランコ、あれこれ

私は公園の遊具の中でもブランコが好きだな。 今となっては、ブランコに乗るのも恥ずかしい年になってしまったが、時々人気がない公園を見つけてしまうと、ついついブランコにまたがってしまう。 ブランコに揺られる感覚は、なかなか日常生活で味わうことが…

遊びにおける「違和感」

「違和感」って、遊びにおいて大切なんじゃないかと思う。 「違和感」というと、どちらかというとマイナスなイメージのある言葉に思うのだけど、じゃあ全く違和感がない状態ってどうなんだろうと思う。 例えば、「字を書く」として、使っているペンに対して…

選択肢が多いって良いことなのか

選択肢が多いことって、何でもかんでも良いこととは限らない。 例えばコンピューターゲームなんかは、自由度が高いというのはいいことのように言われるけど、「自由度が高い」という感覚と「やれることが多い」というのは必ずしもイコールではないと思う。 …

ドット絵、あれこれ

ドット絵を描くのは面白い。 いや、ドット絵はあまり「描く」という感覚じゃない気がする。 どちらかというと彫刻みたいに「そぎ落とす」感じだろうか。 いや、彫刻やったことないから、わかんないけど。 鉛筆で絵を描く時、何も描かれていない白紙は無限の…

もし、ゲームしている後ろで誰かが見ていたら

「遊び」というのは、夢中で遊んでいる時は、もはやそれが遊びであるかとかプレイヤーは認知していない。 逆に、それが遊びであると強調されると、むしろ遊びではなくなったりする。 例えば、私が大好きなコンピューターゲームをしている。 そこに、後ろから…