戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

会話の録音

 

先日、スマホのボイスデータが吹き飛ばしてしまったこともあり、パソコンとかのデータをちゃんと整理することにしました。

そうすると、1年くらい前の友人との会話の録音データが発掘されました。

その友人とはよく通話とかで会話しているのですが、どっかのノリで録音してみることになり、そのまま放置されていたようです。

せっかくだからと、その1年前の会話を聴いてみたのですが、なかなか面白いものですね。

1年前の自分は何を考えていて、どんな姿勢をしていて、どこに立っているつもりなのか、なんとなく見えてきます。

これは1年経っている私が聴いているからそう感じるだけで、当時の自分にとってはそれが当たり前というか、自分だったわけです。

正直に言って、聴いてて「コイツ、ダメだなぁ」と、そんな風に思ってしまいました。

喋っている内容自体は今の自分とそんなに違わなくはないんです。

実際、その話している内容の先のことを最近では大切にしてやってきていますし。

けれど、そういう言い方しちゃダメでしょとか、もう少し落ち着いていいんじゃないかと、当時の自分が目の前にいたらちょっと説得したくなる、そんな気分でした。

調子に乗っているというか、乗らざるおえない状況だったのかもしれません。

それが一概に悪いことだとは言い切れませんが。

 

記録って、映像だったり、写真だったり、文章だったり、色々ありますが、「当時の会話の音声データを残す」というのは、特に当時の自分というのがよくわかる気がします。

内容だけてでなく、その声色やテンション、相手の話を聞く姿勢から、昔の自分の状況というのが痛いほど伝わってきます。

そしてそれは、未来の自分にとって膨大な贈り物になりえそうです。

定期的に会話の録音、やってみる価値ありそうですねぇ。