戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「負ける」と遊び

 

負けるってやっぱり嫌です。
自分は少し恥ずかしく思うくらい負けず嫌いで、例え相手が小さい子供であろうと、心の中で「少し手加減してやろうか」なんて思ってても、いつの間にか勝ちに行っているし、負けると機嫌が悪くなります。

しかし、時には安心して負けられる、気持ちよく負けられる時があります。

自分が強者と認めた相手というか、尊敬しているというか、そういう相手の時は自分を気兼ねなく敗北者として置ける、そこに安堵感すら感じてしまうのです。

私の友人にそういうカリスマ的な風貌の人がいて、彼の前ではもうリラックスできるのです。

もはや、そんな彼と対等に喋れること、そこにすら嬉しさがある。

その状態がはたしていいのかは怪しいですが、もはや私が何を言っても彼は動じない、ブレない、故に装おうことなく心の底から尊敬の志で会話することができる、それはとてもありがたいことだったりします。

尊敬できる人とは、言い換えれば周りの人々を気持ちよく謙虚な姿勢にできる人とも言えるかもしれません。

何事も謙虚な姿勢でありたいものですが、そうもうまくいきません。

とてもいい人であっても、どうも尊敬しにくい人という場合も結構あります。

そう思うと、人を気持ちよく負けさせる、というか自分を謙虚な姿勢にさせてくれること自体に、何か価値があるように感じます。