戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「即興」と遊び

 

「なんか暇かも」と思った時に、友人から「今から遊ばね?」という連絡がくる。
それは、前々から遊びの予定を入れていた時より、なんだかずっと嬉しい。
もちろん、忙しい時に「今から遊ばね?」なんてきても少し腹立ってしまうくらいだし、忙しいのなら予定を組んだ方が確実に遊べるわけなんですが。

けれど、あの小さい頃、友達の家の外で「あそぼー」と大声で叫んでいた、あれくらいのカジュアルさがどうも恋しい。


これには即興的な良さがある気がする。
即興的だからこその良さだろうか。

構える隙すら与えない、より本能的な問い掛けに感じる。

逆に、1ヶ月も前から予定を決めていて、そのための準備もできて、なんとなく当日のイメージもしちゃって、少しずつ予定が近づくのを感じて、そういうのが重なってくると無意識にも型が仕上がってきてしまう。
そんな状態で「本能的に」なんて言われても、とっくの昔に本能は忘れてしまっているのだ。

 

とは言いつつ、即興とは一つ間違えれば人を傷つける暴力的な存在になりうる。
なにせ、予定のようにゆっくり変化するのではなく、一気にフルスロットルまで上げてくる。

しかし、だからこそ、この暴力的なテンションのアップダウンには強い力が働くように思う。

デザインされた即興は貴重で、とても価値があるのかもしれない。