戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

不登校の子とゲームする


最近、小学生の子と遊ぶことがある。

始まりは親に遊んでやってくれないかと頼まれたことから。

その子は親の友達の子供で、何を隠そうとも不登校だそうだ。

不登校の詳細は知らないが、とりあえず彼はゲームが好きで、私もゲームが好きだということで、うまく遊んでもらえないかとお願いされた次第。

変な話、不登校の子がどんな感じなのか気になったのもあり、そのお願いを了承した。

 

いざ、その子が親に連れられ家にやってきた時、リビングに案内されるがいなや、ソファに腰を下ろし、淡々とゲーム機を取り出しゲームをしだした。

その風貌から、「あぁ、こいつちょっと可愛くないな」と思ってしまった。

しかし、それ以上にその親の言動が気になった。

子供が聞こえるところで、その子の不登校の話や、その子について話し出してしまう。

そりゃ心配だろうし、つい話したくなる気持ちをわからんでもないが、そういうのって子供は何も言わないがしっかり聞いているもんだし、しっかり傷ついているものだ。

そういう想像や配慮ができないところをみるに、子供以上に親の方に不信感を抱いてしまう。

そこから退散するように、その子を私の部屋に案内し、一緒にゲームをすることにした。

 

いやしかし、話しかけても反応が返ってこない。

これでは埒が明かないので、もうコミュニケーションは諦めて、とりあえず一緒にゲームすることにする。

ゲームをしていくと、最初はなんの生気も感じなかった彼だが、ちょっとずつ正体が現れてくる。

それは最初の印象とは全く違い、とても遊びに飢えていて、本当に積極的に遊びを展開していく、なんとも活発で面白い子であった。

さらに驚くことに、それでいて私という遊び相手も興味なさそうにみえて、しっかり意識している。

私がゲーム内で少しでも困った素振りをすると、すぐさまこれでもかと手厚くもてなしてくれる。

面白い発見をすると「みてみて」と見せびらかしてくる。

彼が調子に乗りすぎて、私が大人気なく不機嫌になると、スッと私に寄り添おうとする。

てっきり人間嫌いなのかと思いきや、どうやら逆らしい。

 

彼と遊んでいく中で、むしろ彼はとても優しいし、賢いと感じた。

私の勝手な妄想だが、恐らく彼はそうだからこそ不登校になってしまったのかもしれない。

周りに敏感すぎるが故、まだ外部に対して折り合いをつける技術を持っていない分、他の人よりキツく感じてしまう。

これも予想だが、彼は家であまり気持ち良くゲームができていなかったようにも思う。

彼の親はゲームに対して理解がない。

その上、彼が聞こえるところで「ゲームばかりしている」と言うもんだから、賢い彼は親の前でゲームをすると自然と「ゲームばかりしていると思われている」と無意識的に考えてしまう。

せっかく、ゲームが好きなのに、そのゲームの中でむしろストレスが増えてしまい、そのストレスの吐き口にまたゲームをする…と悪循環に陥り、余計ゲームに飲めり込むのである。

 

そんな彼とは今でも付き合いがあり、時々オンラインでゲームをして遊んでいる。

彼とはもはや友人として付き合っている。

彼は賢いので、「面倒をみてやっている」という姿勢そのものに気づき、そういう上からの視線に心を開くことはないだろう。

だから、もう好き勝手やらせていただいている。

疲れたら「疲れた」と訴える。

腹が立ったら「このやろう」と言ってやる。

時にはこちらがやりたいことを提案する。

どうも、大人は子供の前では我慢しなければならない風潮があるが、それはどうなんだと思う。

それはもはや、子供に嘘を教えているようなものなのではないかとすら思う。

教育論とか、そんなもの知らないが、大人子供関係なく、1人の人間としてフラットに付き合うことが、何よりその子のためになるのではないかと。

 

話によると、自由にゲームをやらせるようになってから、明るくなり、お話もしてくれるようになったそうだ。

面白いものだ。

彼がもう少し大人になっても、一緒にゲームさせてもらいたいものだ。