戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド」という遊び

 

コンピューターゲームは好きだけど、かの有名なゼルダシリーズはあまりやってきませんでした。

タイミングが合わなかったのもありますが、実はあんまり手を伸ばすほどやりたいとも思わなかったし、せっかくだしと何個かやってみたものの、あんまり長続きしませんでした。

面白いのは間違いないのですが、どうも自分とは相性がよろしくないらしい。

残念です。

 

しかし、そんな中で唯一、クリアするまでやり込んだゼルダのゲームがあります。

もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド」です。

…あんまり詳しくないのですが、このゲームってゼルダシリーズに入るんでしょうか?

まぁ、いいです。

 

このゲームでは、リンクのようなカッコイイ勇者が主人公ではなく、薄汚れた35歳独身のおじさんが主人公なんです。

もうこの時点で「なんだこれは」と興味がそそるのですが、何よりこのゲームの恐ろしさは、ゲームであるのに、RPGであるのに、「お金がすべて」を体現したような、なんとも夢のない世界観であることです。

お金がHPゲージ代わりであることもさることながら、住民の話を聞くのにもお金が必要になってきます。

少ない金額を提示すると無視するくせに、たくさん出せば別人かのように明るく接してくる大人の姿は、当時子供ながらヒリつくような衝撃がありました。

そういう「お金の交渉」が基盤としてあるわけで、攻めすぎると交渉が決別して大損し、守りに入りすぎても巻き上げられるという、なんとも残酷すぎる駆け引きがたまらないゲームです。

特に衝撃的な思い出として、とあるストーリーにて、いい感じに感動する終わり方を迎え、しんみり、ほっこりしていたところ、「さぁ、いくら報酬欲しい?」と、余韻をぶち殺してバンッと冷酷な「お金の交渉」が始まった時は、「このゲーム、すげぇやぁ…」と渇いた笑いがこみ上げてしまいました。

 

ゲームのようなフィクションの世界だからこそ、勇者になりたい!とか、カッコよくありたい!とか、そういう綺麗な世界を味わいというのがありますが、逆にゲームの世界だからこそ、現実では味わいたくないような汚いものを味わってみたいという気持ちもあるものです。

なんだったら、なんでもかんでも上手くできるようになっているとか、気持ちよくプレイできるようになっているとか、「すごい!」ってゲーム側が褒めてくるような、そういうちょっと気持ちが悪いくらい綺麗ってのは言い過ぎだけれど、そういうのはなんか余計に空虚に感じてしまうところがあります。

だからこそ、ゲーム側がある種残酷さを持ってプレイヤーを蹴落としてくるほうが、そこにリアリティが湧くといいますか、なにか馴染むようなものがある気がします。