戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

会話下手

 

会話をして、それを終えた後に「もっと喋れたなぁ」とか、「あの時こう返せばよかったなぁ」とか反省して、「自分は会話下手だなぁ」と、ついつい思ってしまう。

けど、それは間違っていて、これらは相手目線で自分が良く見えるようにと考えてしまっていて、自分の器以上のものに手を出してしまっている、その時点でダメなんだろう。

自分がやれる範囲なんてしれていて、でもやっぱり自分がやれる範囲というのがある。

それを不貞腐れず、おざなりにせず、堅実にやれるかがとてもとても大切。

「投げられたボールを打つ」

大チャンスの場面だとか、めちゃ強い選手が投げているとか、そういうの関係なしに投げられたボールを見て、構えて、バットを振る。

その後のこととか、それがうまくいくとか、空振りだとか、まだそういう結果の部分を考える時期でもなんでもない。

一つ一つの会話、一つ一つの動作、その中の自分がやれる範囲、その自分の打席を構える。

それを堅実にやっていきたい。

下手でもいいし、自分の器が情けないくらい小さくてもいい。

その下手な範囲でちゃんと構える。

まずはそこから。

もしかすると私が一番苦手としていることなのかもしれない。

「器をころころ自分で変えるな」

自分の持つ器を気にするのではなく、器を持つ自分の姿勢を気にしたいものだ。