戯れ散歩

”遊び”について、考えていきたい次第。

「クソゲー」と遊び

 

「人生はクソゲーだ」という言葉がある。

本当に人生がクソなのか、そうではないのか、それはよくわかりません。

しかし、人生をクソゲーとして置くと楽ではあると思う。

逆に、人生が神ゲーだったとすると、文句が言えなくなってしまう。

何か嫌なことがあったり、自分の失敗なんかも、全部自分のせいとなってしまいます。

神ゲーというのは面白いと同時に、なにか重さ、しんどさというのも感じてしまう時があります。

 

実際、無性にクソゲーにハマってしまう時期があります。

「クソだなぁ」と思いながら、やめずに黙々と続けてしまう。

そこにはクソゲーだからこその心地よさがあります。

自分がクソだと認めているものに腰を下ろすからこそ、そのクソの中での自分の行為は空っぽとなり、からっぽだからこそ何も考えず、何も期待せず、ある意味肩の荷を下ろして現実逃避ができるのです。

そう思うと、「クソゲー」というのも悪くないものです。

なんだったら、クソゲーだからこその可能性すらあるのです。

もっとクソゲーを愛しましょう。